
九州の企業が「人的資本経営」を中小企業の現場で実践する方法——大企業の概念を自社サイズに翻訳する
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九州の企業が「人的資本経営」を中小企業の現場で実践する方法——大企業の概念を自社サイズに翻訳する
「人的資本経営って、最近よく聞くんですが、正直なところうちのような50人の会社に関係あるんですか。上場企業が情報開示するための話であって、中小企業には縁のない世界だと思っていたんですが」
久留米市の機械メーカーの総務部長がそう話してくれたとき、私は「人的資本経営の本質は"人への投資を経営成果につなげる"ことです。これは企業規模に関係なく、むしろ中小企業のほうが実践しやすい面があります」とお伝えしました。
私はこれまで500社以上の企業で人事に携わってきましたが、「人的資本経営」という言葉を聞いて「うちには関係ない」と感じる九州の中小企業の方は非常に多いです。しかし、その本質を理解すれば、中小企業こそ取り組む価値のあるテーマだとわかります。
この記事では、九州の中小企業が「人的資本経営」の考え方を現場で実践するための具体的な方法をお伝えします。
人的資本経営の本質は何か
人を「コスト」ではなく「投資」として捉える
人的資本経営の最も重要な概念は、「人にかかる費用をコストではなく投資として捉える」ということです。
従来の会計上の扱いでは、人件費は販売管理費や製造原価に含まれる「費用」です。費用である以上、「いかに抑えるか」が経営の関心事になりがちです。
しかし、人的資本経営の考え方では、人材への支出は「将来のリターンを生む投資」と捉えます。研修費用は「人材の能力を高め、生産性を向上させるための投資」であり、採用費用は「事業を成長させる人材を獲得するための投資」です。
この発想の転換は、中小企業にとって実は非常に身近なものです。九州の中小企業の経営者の多くは、口にこそ出さないものの、「良い人材を採用し、育てることが事業の成長につながる」と感覚的に理解しています。人的資本経営は、その感覚を体系化し、経営の仕組みとして定着させるものです。
経営戦略と人材戦略の連動
人的資本経営のもう一つの重要な要素は、「経営戦略と人材戦略の連動」です。
「今後3年で売上を1.5倍にする」という経営戦略があるなら、それを実現するためにどんな人材がどれだけ必要かを明確にする。必要な人材が社内にいなければ、採用するのか、育成するのか、外部から調達するのかを計画する。
この「経営戦略→人材戦略」の連動ができている中小企業は多くありません。しかし、この連動こそが人的資本経営の核心であり、経営者と人事担当者が一緒に考えるべきテーマです。
中小企業が「人的資本経営」に取り組む意義
採用力の向上
人的資本経営に取り組んでいることを発信する企業は、採用市場で差別化できます。
求職者、特に若い世代は、「自分の成長に投資してくれる会社」を求めています。「当社は人材育成に年間○○万円を投資しています」「入社3年目までに○○のスキルを習得できるプログラムがあります」——こうした具体的な情報は、採用活動における強力なメッセージになります。
福岡市のソフトウェア開発企業では、「一人当たり年間20万円の教育予算」を採用ページで明示したところ、応募者の質が目に見えて向上しました。
社員の定着率向上
人的資本経営の取り組みは、既存社員の定着率向上にもつながります。
「会社が自分の成長に投資してくれている」という実感は、社員のエンゲージメントを高めます。研修機会の提供、キャリアパスの明示、公正な評価と報酬——これらは「会社が自分を大切にしている」というメッセージとして社員に伝わります。
経営判断の精度向上
人的資本に関するデータを収集・分析することで、経営判断の精度が向上します。
「この事業部の離職率が高い原因は何か」「研修投資の効果はどの程度か」「採用チャネルごとのROIはどうなっているか」——こうしたデータに基づく議論ができるようになると、人事施策の効果を検証し、改善することが可能になります。
九州の中小企業が始められる実践ステップ
ステップ1:現状の「見える化」から始める
人的資本経営の第一歩は、自社の人的資本の現状を「見える化」することです。
大企業が開示しているような複雑な指標を揃える必要はありません。まずは以下の基本的な数値を把握するところから始めてください。
従業員数の推移、平均勤続年数、離職率、一人当たり人件費、一人当たり売上高、一人当たり教育研修費、平均年齢、男女比率——これらの基本データを3年分程度さかのぼって整理するだけでも、自社の人的資本の状態が見えてきます。
大分市のサービス業では、これらの基本データを初めて整理した結果、「入社3年以内の離職率が50%を超えている」という事実が明らかになりました。この数字を経営者に示したことで、早期離職対策が経営課題として認識されるようになったのです。
ステップ2:経営戦略とのリンクを明確にする
次に、経営戦略と人材戦略のリンクを明確にします。
自社の経営計画(中期計画がなくても、来期の事業方針程度でも構いません)を確認し、「その計画を実現するために、どんな人材がどれだけ必要か」を洗い出します。
北九州市の部品メーカーでは、「新規取引先を年間10社獲得する」という事業目標に対し、「営業担当者を現在の5名から8名に増やす」「新規開拓スキルを持つ人材を2名採用する」「既存営業の提案力を強化する研修を実施する」という人材計画を策定しました。このように、事業目標と人材計画を具体的に紐づけることが、人的資本経営の実践です。
ステップ3:人材への投資を「計画的に」行う
人への投資を思いつきではなく計画的に行うことが、人的資本経営の肝です。
年間の教育研修計画を策定する。採用計画を事業計画と連動させる。評価制度を通じて社員の成長を支援する。これらを「計画」として明文化し、予算を確保し、実行し、効果を検証する。このPDCAサイクルを回すことが、人的資本経営の実践です。
ステップ4:効果を測定し、改善する
人材への投資の効果を測定することで、投資の精度を上げていきます。
「研修を実施した結果、参加者のスキルはどう変わったか」「採用チャネルを変えた結果、入社後の定着率はどう変わったか」「評価制度を改定した結果、社員のエンゲージメントはどう変わったか」——完璧な測定は難しくても、仮説を立てて効果を検証する姿勢が大切です。
中小企業の現場で使える人的資本の指標
まず追うべき5つの指標
九州の中小企業が人的資本経営を実践するにあたり、まず追うべき指標を5つ挙げます。
第一に、「一人当たり売上高」。従業員一人あたりがどれだけの売上を生み出しているか。生産性の基本指標です。
第二に、「離職率」。特に入社3年以内の離職率は、採用の質と定着施策の効果を測る重要な指標です。
第三に、「一人当たり教育研修費」。人材育成への投資額を定量的に把握します。
第四に、「管理職に占める内部昇格者の比率」。内部育成がうまく機能しているかを示す指標です。
第五に、「従業員エンゲージメントスコア」。簡易的なアンケート(5問程度)でも、定期的に測定することで傾向がつかめます。
指標は「比較」して意味を持つ
指標は、単独の数値よりも「比較」することで意味を持ちます。
前年との比較(改善しているか)、業界平均との比較(相対的な位置はどうか)、部門間の比較(差があるとしたら原因は何か)——これらの比較を通じて、課題と打ち手が見えてきます。
九州の中小企業の実例
A社(福岡市・IT企業・従業員40名)のケース
A社は、「人的資本経営」という言葉を知る以前から、人材への投資に積極的な企業でした。ただし、投資の内容が場当たり的で、効果の検証ができていませんでした。
人的資本経営に取り組むにあたり、まず基本指標を整理。一人当たり教育研修費が業界平均を下回っていることがわかり、年間教育予算を1.5倍に増額しました。同時に、研修の効果を「参加者の業務パフォーマンスの変化」で測定する仕組みを導入。
1年後、研修参加者の生産性が非参加者と比較して12%向上していることが確認され、教育投資の有効性がデータで裏付けられました。この結果を受けて、経営者は教育投資をさらに拡大する判断をしています。
B社(熊本市・製造業・従業員100名)のケース
B社は、経営計画と人材計画が連動していなかったため、「必要な人材が必要なタイミングで確保できない」という課題を抱えていました。
人的資本経営の取り組みとして、3年間の経営計画に合わせた人員計画を策定。各部門の人員数、必要スキル、採用・育成計画を明文化しました。
この計画により、「来年度に必要な技術者3名は、今年度中に採用活動を開始し、入社後半年の研修で必要スキルを習得させる」という具体的なアクションが明確になりました。
人的資本経営を「自社サイズ」に翻訳するコツ
完璧を目指さない
人的資本経営に関する書籍やセミナーで紹介されるフレームワークは、大企業を前提にしたものが多いです。それをそのまま中小企業に当てはめようとすると、「うちの規模では無理だ」と感じてしまいます。
大切なのは、フレームワークの「考え方」を取り入れつつ、自社の規模とリソースに合った形にカスタマイズすることです。すべての指標を追う必要はありません。自社にとって最も重要な3〜5つの指標に絞り込み、それを確実に追跡する。この割り切りが、中小企業での実践のコツです。
経営者との対話を繰り返す
人的資本経営の推進には、経営者の理解と関与が不可欠です。人事担当者が一人で取り組んでも、経営者が無関心であれば成果は限定的です。
定期的に経営者と「人」についての対話の場を持つことをお勧めします。月に1回、30分でも構いません。「今月の採用状況」「離職の兆候がある社員」「研修の効果」など、人に関する情報を経営者と共有する。この対話を積み重ねることで、経営者の人的資本への関心が高まっていきます。
鹿児島市の建設会社では、人事担当者が毎月「人事ダッシュボード」(A4用紙1枚に主要指標をまとめたもの)を経営者に提出しています。この習慣が定着したことで、経営者が人事施策に対して具体的な指示やフィードバックを出すようになりました。
小さく始めて、成功体験を積む
人的資本経営を一度に全面的に導入しようとすると、挫折するリスクが高い。まずは一つのテーマに絞り、小さく始めて成功体験を積むことが重要です。
「まずは離職率の改善に取り組む」「まずは一人当たり教育研修費を把握する」——一つのテーマで成果が出れば、「次はこのテーマに取り組もう」という機運が自然に生まれます。
人的資本経営を「経営の言葉」で語る
人的資本経営は、人事部門だけのテーマではありません。経営そのもののテーマです。
九州の中小企業の経営者に伝えたいのは、「人的資本経営は大企業の流行語ではなく、中小企業の経営を強くする実践的なアプローチだ」ということです。
人にいくら投資し、どんなリターンが得られたか。人材の現状はどうなっており、将来に向けてどんな課題があるか。こうした問いに対して数字で答えられる状態を作ること——それが、中小企業における人的資本経営の実践です。
人事担当者は、「人にとって良いから」だけでなく、「事業にとって価値があるから」という視点で人材施策を設計し、その効果を経営の言葉で伝えることが求められています。この二つの視点を持つことが、人事の仕事を経営の中核に位置づけ、企業の成長を支える力になるのです。
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