九州の酒造メーカーが技を継承する人材育成の仕組み——「杜氏がいなくなったら終わり」を組織の力で乗り越える
育成・研修

九州の酒造メーカーが技を継承する人材育成の仕組み——「杜氏がいなくなったら終わり」を組織の力で乗り越える

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九州の酒造メーカーが技を継承する人材育成の仕組み——「杜氏がいなくなったら終わり」を組織の力で乗り越える

「うちの杜氏が引退したら、この酒はもう造れなくなるかもしれない」

大分県日田市の清酒蔵元の5代目社長が、静かにそう言いました。私はこれまで500社以上の企業で人事に関わってきましたが、九州の酒造メーカーが直面する技術承継の問題は、他の製造業以上に「文化の継承」という重みを伴います。焼酎、清酒、泡盛、ワイン——九州・沖縄の酒造りは、単なる製造業ではなく、土地の風土と歴史が凝縮された文化産業です。その技を次の世代に引き継ぐことは、企業経営の課題であると同時に、地域文化を守る営みでもあります。

九州は日本最大の焼酎生産地です。鹿児島の芋焼酎、宮崎の芋焼酎・麦焼酎、大分の麦焼酎、熊本の球磨焼酎、長崎の壱岐焼酎、そして沖縄の泡盛。さらに福岡・佐賀・大分には日本酒の蔵元も多く、近年は九州産のワインも注目を集めています。これらの酒造メーカーの多くが、中小規模の家族経営あるいは小規模法人であり、人材育成の仕組みを体系的に持っているところは少ないのが現状です。


酒造メーカーの技術承継が危機に瀕する理由

理由1:杜氏制度の変容

かつての酒造りは、冬場の農閑期に杜氏集団が蔵に入り、酒を仕込むという季節労働でした。しかし農業の衰退と高齢化により、杜氏の後継者が激減しています。南部杜氏や丹波杜氏といった伝統的な杜氏集団からの人材供給は、もはや期待できない状況です。

多くの蔵元が「社員杜氏」体制——自社の正社員が杜氏の役割を担う形——に移行していますが、社員杜氏を育てる仕組みが整っていないケースが多い。

理由2:五感に依存する技術の伝達困難

酒造りの核心は、麹の管理、発酵の制御、ブレンドの判断など、五感を使った技術にあります。「この麹の香りが出たら温度を下げる」「この泡の立ち方なら発酵は順調」「この色になったら蒸留のタイミング」——こうした判断は、数年から十数年の経験で身につくものであり、言語化が極めて難しい。

鹿児島県霧島市の芋焼酎メーカーでは、蒸留のタイミングを「もろみの音」で判断するベテラン杜氏がいました。もろみが発酵する際の微妙な音の変化を聞き分け、最適な蒸留開始時刻を決める。この「音による判断」は、まさに暗黙知の極致です。

理由3:若手の酒造業界離れ

酒造業界は、他の製造業と同様に若手人材の確保が困難です。早朝からの作業、肉体労働、季節による繁閑の差——こうした労働条件が、若者にとっては厳しく映ります。加えて、酒造メーカーの多くが地方の中小企業であるため、都市部の企業と比較して報酬面でも見劣りすることがあります。


技術承継の5つのアプローチ

アプローチ1:「見える化」から始める技術の棚卸し

まず、自社の酒造りにおいて「誰がどの技術を持っているか」を棚卸しします。

技術の棚卸し項目の例(焼酎メーカーの場合):

  • 原料処理(芋の選別、洗浄、蒸し加減の判断)
  • 麹造り(種麹の散布、温度管理、手入れのタイミング)
  • もろみ管理(発酵の進行判断、温度制御、酸度の管理)
  • 蒸留(蒸留のタイミング判断、初留・中留・後留の切り分け)
  • 貯蔵・熟成(貯蔵期間の判断、ブレンドの技術)
  • 品質管理(官能検査、成分分析の解釈)

各技術について「保有者」「保有者の年齢」「後継者の有無」「承継の緊急度」を整理すると、優先的に取り組むべき技術承継の対象が明確になります。

宮崎県日南市の焼酎メーカーでは、棚卸しの結果、8つの核心技術のうち3つが「60代のベテラン1名にのみ依存」していることが判明しました。この可視化が、経営者に技術承継への投資を決断させるきっかけになりました。

アプローチ2:「師弟期間」の制度化

酒造りの技術承継において最も効果的なのは、ベテランの横について同じ作業を一緒に行う「師弟期間」の設定です。

ただし「横について見て覚えろ」では不十分です。以下の3つのルールを設けることで、承継の効率が大幅に上がります。

  1. ベテランは作業しながら「なぜこうするか」を声に出して説明する
  2. 後継者は毎日の作業日誌に「今日学んだこと」と「まだわからないこと」を記録する
  3. 週1回、30分の振り返りミーティングを行い、理解度を確認する

熊本県人吉市の球磨焼酎メーカーでは、若手社員2名をベテラン杜氏のもとに3年間の師弟期間として配置しました。1年目は全工程を見学・補助、2年目は一部の工程を主担当として実施、3年目はベテランの監督下で全工程を担当。この段階的なプログラムにより、3年後にはベテラン杜氏の技術の約70%を2名に移転できたと評価されています。

アプローチ3:データと五感の融合

近年の酒造業界では、IoTセンサーやデータロガーを活用して、発酵工程の温度・湿度・pH・アルコール度数などを自動記録するシステムの導入が進んでいます。

このデータを技術承継に活用する方法は、「ベテランの判断をデータで裏付ける」ことです。ベテランが「この状態だ」と判断した瞬間のセンサーデータを蓄積し、パターンを分析する。後継者は、五感による判断を学びながら、データによる「答え合わせ」ができる。

大分県宇佐市の麦焼酎メーカーでは、もろみタンクに温度・pH・比重の自動計測システム(初期投資約80万円)を導入し、3年分のデータを蓄積しました。ベテラン杜氏が「そろそろだ」と判断したタイミングのデータを分析したところ、特定の温度曲線とpHの組み合わせに明確なパターンがあることがわかりました。このパターンを後継者に共有したことで、判断の精度が向上し、ベテランが不在の日でも一定水準の品質を維持できるようになっています。

ただし注意が必要なのは、データは「判断の補助」であって「判断の代替」ではないということです。最終的な品質判断には、人の五感が不可欠です。データに頼りすぎると、「数字は問題ないが、味は落ちた」という結果を招きかねません。

アプローチ4:官能検査力の育成

酒造りにおいて最も重要な技術の一つが、「利き酒」の能力——官能検査力です。味覚、嗅覚を駆使して酒の品質を判断する能力は、意図的なトレーニングで向上させることができます。

官能検査トレーニングの例:

  • 週2回の利き酒会(自社製品と競合製品の比較テイスティング)
  • 五味(甘味・酸味・苦味・塩味・旨味)の識別テスト
  • オフフレーバー(異臭)の識別トレーニング
  • ブレンド比率の当てクイズ

鹿児島県南さつま市の焼酎メーカーでは、全製造スタッフを対象に週1回の官能検査トレーニングを3年間継続しています。トレーニング開始前と現在の比較テストでは、識別精度が平均で40%向上。特に若手スタッフの伸びが大きく、「自分の舌が鍛えられている実感がある」「酒造りがもっと面白くなった」という声が出ています。

アプローチ5:業界ネットワークでの学び合い

酒造メーカーの技術承継は、自社だけで完結させる必要はありません。九州には酒造組合、焼酎組合、清酒組合などの業界団体があり、メーカー同士の技術交流の機会が設けられています。

他社の蔵での研修(蔵人交流)は、自社では学べない技術やアプローチに触れる貴重な機会です。「よそ者の目」で自社の製造工程を見直すきっかけにもなります。

佐賀県鹿島市の日本酒蔵元では、若手蔵人を年1回、他県の蔵元に1週間の研修に送り出しています。費用は交通費・宿泊費で1名あたり約10万円。「他の蔵のやり方を見て、なぜうちはこうするのかが初めて理解できた」という気づきが、自社の技術への理解を深めています。


ベテランの知恵を組織の資産に変える

技術承継は「人から人へ」の移転だけではありません。ベテランの知恵を「組織の資産」として蓄積・活用する仕組みを作ることも重要です。

製造日誌の充実化

多くの酒造メーカーは製造日誌をつけていますが、その内容は「気温○度、もろみ温度○度」といった数値の記録にとどまっていることが多い。ここにベテランの「判断の理由」を書き加えてもらうだけで、日誌の価値は飛躍的に高まります。

「今日は外気温が高いので、通常より2時間早く冷却を開始した。理由は、この品種の米は高温で糖化が進みすぎる傾向があるため」——こうした判断のログを蓄積することで、後継者が「なぜそうしたのか」を後から学べるようになります。

レシピと判断基準の文書化

レシピ(仕込み配合)は多くの蔵元で文書化されていますが、「レシピどおりに作ったのに味が違う」ということが起こります。それは、レシピに書かれていない「判断基準」が省略されているからです。

「この米は今年は硬めだから、浸漬時間を30分延ばす」「この麹は香りが弱いから、温度を1度上げて長めに培養する」——こうした「レシピの行間」を書き出す作業を、ベテランと一緒に行うことが、組織知の蓄積につながります。


経営数字で見る技術承継の投資対効果

酒造メーカーの技術承継への投資を、経営数字で評価します。

承継に成功した場合の価値

  • ブランドの継続:自社の看板商品の年間売上がそのまま維持される。看板商品の売上が年間5,000万円なら、その維持効果は年間5,000万円
  • 品質の安定:取引先の信頼を維持し、契約を継続できる
  • 新商品開発力の維持:技術があってこそ新しい酒を開発できる

承継に失敗した場合の損失

  • 看板商品の品質低下による売上減少:年間売上の10〜30%
  • ブランド価値の毀損:回復に数年〜十数年
  • 取引先の離反:一度失った信頼の回復コストは甚大

技術承継に年間200万円を投資することで、年間5,000万円の売上を守れるなら、投資対効果は25倍です。この計算を経営者に示すことが、技術承継への投資を引き出す最も確実な方法です。


九州の酒造文化を人の力で未来へつなぐ

九州の酒造りは、風土と人の技術が結び合って初めて成立する文化です。芋焼酎の甘い香り、球磨焼酎のまろやかさ、泡盛の深い味わい、佐賀の日本酒のキレ——これらは機械だけでは再現できない、人の五感と判断が生み出すものです。

技術承継は地味で時間がかかる仕事ですが、酒造メーカーの存続と地域文化の継承を左右する経営課題です。「杜氏がいなくなったら終わり」ではなく、「杜氏の技を組織の力に変える」。その取り組みを今日から始めることが、九州の酒造文化を次の世代に届ける第一歩です。


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