
九州の企業が経営数字から人事戦略を組み立てる実践アプローチ——「人事は数字が苦手」を終わらせる
九州の企業が経営数字から人事戦略を組み立てる実践アプローチ——「人事は数字が苦手」を終わらせる
「人事の話をすると、経営者の目が曇る」
この現象には理由があります。人事担当者が「社員のモチベーション向上のために研修を実施したい」と提案し、経営者が「で、それでいくら儲かるの?」と返す。その問いに答えられないとき、人事の提案は却下されます。
私はこれまで500社以上の企業で人事に携わってきましたが、人事担当者と経営者の間に横たわる最大の溝は、「言語の違い」です。人事は「人の気持ち」の言語で語り、経営者は「数字」の言語で判断する。この溝を埋めない限り、どんなに優れた人事施策も実行に移されません。
「経営数字から発想する人事」——これが、九州の企業の人事担当者が身につけるべき最も重要な能力です。人が大事なのは当然です。しかし「人が大事だから」だけでは経営者は動かない。「人に投資することで事業がこう変わる」と数字で示せたとき、初めて人事は経営のパートナーになれます。
なぜ「数字」が必要なのか
人事の仕事は、本質的には「人の問題」を扱うものです。採用、育成、評価、報酬、組織開発——これらはすべて「人」にまつわるテーマであり、定量化しにくい要素を含んでいます。
しかし経営者が意思決定を行う際の言語は「数字」です。売上、利益、コスト、投資回収——これらの指標を基に、「やるか、やらないか」「いくらまで投資するか」「いつまでに成果を出すか」を判断します。
人事担当者が数字で語れないとき、何が起こるか。
「研修を実施したい」→「いくらかかるの?」→「50万円です」→「効果は?」→「社員のスキルが上がります」→「それで売上は上がるの?」→「......」
この会話は、九州の中小企業で毎日のように繰り返されています。経営者が意地悪なのではありません。限られた経営資源を配分する立場として、投資対効果を確認するのは当然のことです。
人事が把握すべき5つの経営数字
人事担当者がまず理解すべき経営数字は、以下の5つです。
1. 売上高と利益
自社の売上がいくらで、利益(営業利益)がいくらか。この基本中の基本を知らない人事担当者が、九州の中小企業には少なくありません。
売上と利益を知ることで、「自社はどれだけ投資余力があるか」「人件費をどこまで増やせるか」が見えてきます。売上10億円・営業利益5,000万円の会社と、売上10億円・営業利益5億円の会社では、人事施策にかけられる予算がまったく異なります。
2. 人件費比率
売上に対する人件費の割合です。これは業種によって適正値が異なります。
- 製造業:20〜35%
- サービス業(飲食・小売):30〜45%
- IT企業:40〜55%
- 建設業:25〜35%
- 医療・介護:50〜65%
自社の人件費比率が業界平均と比較してどの位置にあるかを把握することで、「人件費を増やす余地があるか」「効率化が必要か」の判断基準ができます。
熊本市の食品メーカーで、人事担当者が「社員の給与を5%引き上げたい」と経営者に提案した際、「人件費比率が現在38%で、業界平均の35%を超えている。給与を引き上げるなら、生産性の向上で人件費比率を維持する計画も合わせて出してほしい」と返されたケースがあります。人件費比率を理解していなければ、この対話は成立しません。
3. 一人当たり売上高・一人当たり利益
社員1名あたりが生み出す売上と利益です。売上高÷社員数で算出できます。
この指標は、「組織の生産性」を測る最もシンプルな数字です。採用を増やしたとき、一人当たり売上高が下がらないか。研修を実施した後、一人当たり利益は改善したか。人事施策の効果を測る上で欠かせない指標です。
4. 離職率と離職コスト
年間離職率(退職者数÷平均社員数×100)は、人事の基本指標です。しかし多くの九州の中小企業では、離職率をきちんと計算していません。
離職コストは、離職率に「1名の離職あたりのコスト」を掛けて算出します。離職コストには、採用コスト、育成コスト、退職に伴う業務引き継ぎコスト、欠員期間中の機会損失が含まれます。
一般的に、中途社員1名の離職コストは年収の50〜150%と言われています。年収400万円の社員が離職すると、200〜600万円のコストが発生する計算です。
5. 採用コスト(Cost Per Hire)
1名の採用にかかる総コストです。求人広告費、紹介手数料、採用担当者の工数、面接に費やす管理職の工数、オンボーディングコストを含みます。
この数字を把握していない企業は、「採用活動の効率化」を議論する基盤がありません。
経営数字から人事戦略を組み立てる5ステップ
ステップ1:現状の数字を「見える化」する
まず、上記5つの指標を自社の数字で算出します。多くの場合、経理部門や経営企画部門にデータがあるはずです。人事部門として独自に集計する必要がある項目(離職率、採用コスト等)は、今すぐ集計を始めてください。
福岡市の商社の人事担当者は、入社以来6年間、離職率を計算したことがありませんでした。初めて計算してみたら年間離職率が22%あり、離職コストは年間で推計約3,000万円に達していることがわかりました。この数字を経営者に提示したことが、人事施策への投資を引き出すきっかけになりました。
ステップ2:経営目標と人事目標を接続する
経営者が掲げる経営目標(売上成長率、利益目標等)を起点に、「その目標を達成するために、人事として何が必要か」を考えます。
たとえば、「来期の売上を20%成長させる」という経営目標があるとします。この場合、人事として考えるべきは:
- 売上20%成長に必要な人員は何名か
- その人員を確保するための採用計画は
- 既存社員の生産性向上で対応できる部分はどこか
- 人件費の増加はいくらか
- 採用・育成にかかるコストはいくらか
この逆算プロセスを経て初めて、人事計画が経営計画と一体化します。
大分市の機械部品メーカーでは、人事担当者が経営会議に毎月参加し、売上目標の進捗と人員計画の進捗を同時に報告する体制を作りました。「売上計画に対して、採用は計画通り進んでいるか。遅れている場合の代替策は何か」——この対話が毎月行われることで、経営者の人事への信頼が大幅に向上しました。
ステップ3:人事施策をROI(投資対効果)で評価する
人事施策を提案する際に、「この施策にいくらかかり、いくらのリターンがあるか」を試算します。正確な予測は難しくても、仮説を立てて数字で示すことが重要です。
例:管理職研修の投資対効果
- 研修コスト:外部講師料20万円+参加者10名の半日分工数30万円=50万円
- 期待効果:管理職のマネジメント改善による部下の離職防止2名
- 離職コスト削減効果:2名×150万円=300万円
- ROI:300万円÷50万円=6倍
「この研修は50万円の投資で300万円のリターンが期待できます。ROI6倍です」——この説明なら、経営者は投資判断ができます。
もちろん、「離職防止2名」は仮説に過ぎません。しかし仮説を持って実行し、結果を検証し、次の施策にフィードバックする。このサイクルを回すこと自体が、人事のプロフェッショナリズムです。
ステップ4:定期報告で信頼を積み重ねる
人事の数字を月次または四半期で経営者に報告するルーティンを作ります。
報告項目の例:
- 今月の採用状況(応募数、面接数、内定数、入社数)
- 今月の離職状況(退職者数、退職理由、離職率の推移)
- 人件費比率の推移
- 実施した施策とその進捗
報告は「事実+数字+考察」の形式で行います。「先月の離職率は2.5%で、前年同月比で0.8ポイント改善しています。要因としては、1on1の導入による上司部下関係の改善が寄与していると考えられます」——このレベルの報告ができれば、経営者は人事を「経営の一部」として認識するようになります。
ステップ5:中期人事計画を策定する
年単位ではなく、3〜5年の中期視点で人事計画を策定します。
中期人事計画の骨格:
- 3〜5年後の事業計画(売上・利益の目標値)
- それを実現するための組織構成(部門別の人員計画)
- 必要な人材の質と量(スキルセット、等級構成)
- 採用計画(年度別の採用数・採用チャネル・採用予算)
- 育成計画(研修プログラム、キャリアパス設計、技術承継)
- 人件費の推移予測(基本給のベースアップ、等級制度の改定を含む)
長崎市の造船関連メーカーでは、人事担当者が5年間の中期人事計画を策定し、経営会議で発表しました。「5年後に売上50%成長を目指すなら、現在の80名体制から110名体制への拡大が必要。5年間の総採用数は50名(離職補充20名+純増30名)。総採用コストは5,000万円。年間の人件費増加額は3年目から年間4,000万円」——こうした計画があることで、経営者は投資判断の材料を得られ、銀行への事業計画説明にも使えると評価されました。
九州の中小企業で「数字の人事」を実践する具体的な始め方
「理屈はわかった。でも何から始めればいいのか」——そう思った方のために、最初の3ヶ月で取り組むべきことを整理します。
1ヶ月目:データの収集
- 過去3年間の社員数の推移を月別に集計する
- 過去3年間の退職者リスト(時期、部門、勤続年数、退職理由)を作成する
- 直近の採用実績(応募数、面接数、内定数、入社数、費用)を集計する
- 自社の売上・利益・人件費のデータを経理から入手する
2ヶ月目:指標の算出
- 離職率(年間・月間)を算出する
- 採用コスト(1名あたり)を算出する
- 人件費比率を算出する
- 一人当たり売上高を算出する
3ヶ月目:経営者への報告
- 算出した指標をまとめて、経営者に報告する
- 指標から見える課題を提示する
- 課題に対する施策案を、コストとリターンの見込みとともに提案する
鹿児島市のサービス業の人事担当者は、この3ヶ月のプロセスを実行した結果、「初めて人事から数字の報告が来た。これなら判断できる」と経営者から言われ、提案した施策(管理職研修と1on1の導入)の予算が即日承認されました。
「経営数字から発想する人事」が九州を変える
九州の中小企業の人事担当者は、多くの場合「一人人事」か、せいぜい2〜3名の少人数チームです。その限られたリソースの中で、最大の効果を出すには、「数字で優先順位をつける」という発想が不可欠です。
離職コストが最も大きい部門から手を打つ。採用コストの回収期間が短い施策から実行する。人件費比率の改善に最も寄与する取り組みにリソースを集中する。こうした「数字に基づく優先順位づけ」が、限られたリソースの効果を最大化します。
「人事は数字が苦手」——この思い込みを捨てることが、九州の中小企業の人事を変える第一歩です。数字は敵ではなく、人事の味方です。数字があるからこそ、「この施策は効いている」と自信を持って言える。数字があるからこそ、「次はこれに投資すべきだ」と経営者に提案できる。
人の成長と事業の成長を、数字でつなぐ。それが「経営数字から発想する人事」の本質であり、九州の企業の未来を支える人事のあり方です。
もっと深く学びたい方へ
体系的に人事の実践知を身につけたいなら、人事のプロ実践講座へ。
日々の悩みを仲間と共有したい方は、人事図書館へ。
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